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Category Archive for ‘Philosophy’

ボタンダウンの拘り

SOUTIENCOLプルオーバーB.D.シャツのすべて

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ヒストリー:

1964年にVAN JACKET INC.のボタンダウンシャツを作り始めた。
福島県のファクトリーで、25年前からSOUTIENCOLのシャツは
同じ工場で作り続けています。Made in Japanにこだわり、
理想の型やクオリティを追い求めています。
定番型ですが、デザイナー自らデザイン、型紙、縫製、をディレクションする
職人気質がブランドの根底にあります。

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特徴:

半袖B.D.シャツはプルオーバー型が本格派!
以前からSOUTIENCOLのB.D.シャツは衿が立って綺麗といわれています。
これは、衿腰の前立て部分のつけ方に特徴があり、譲れないところです。
衿のロールが,上品に出るよう型紙で工夫しています。
もちろん柔らかなロールには、接着の芯地ではなく
綿素材の接着されていないフラシの芯を使っています。
師匠の石津謙介さんに、プルオーバーは脱ぎ着しやすいサイズでと
よく言われていましたので、特に肩幅や身幅は広めにしています。
それと、TRADの特徴はナチュラル・ショルダーです。
SOUTIENCOLのシャツ、ジャケットなどは、肩の下がりを
ナチュラル・ショルダーにしています。これが重要なんです。

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B.D.はボタンホールの位置とボタン位置が命!

1.B.D.は、衿のステッチ幅5から6mmで、
ステッチぎりぎりにボタンホールの穴糸がかかってないといけません。
2.問題はボタンの位置です。
衿先の長さ、開き具合によって微妙に変わります。
これはパタンナーの型紙上ではわからない事なんです。

デザイナーの研鑽と、美意識が問われる重要なポイントです。
UNIVERSAL LAB INC. Designer TOSHIHIKO MIURA 25.Oct..2017

半袖B.D.シャツは絶対プルオーバー型が本格派!
1920年代ポロ競技に、初めて白の半袖プルオーバーが着用された。
1930年代中頃スポーツウエア用としてオックスフォード地が特に好まれた。
1930年後半、ほとんどの人はスポーツシャツの裾をパンツの外に出して着ていたので、着丈が短く作られるようになった。

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1950年代から60年代初期までイタリア、フランス(コンチネンタル)の影響があったが、同時にナチュラル・ショルダーのIVY・LEAGUE支持者たちはオックスフォードのボタン・ダウンを愛用した。この時代、上品なペーズリィ柄とロウケツ染めのバティックの伝統的プリント柄と、マドラスチェックが多かった。
型は、プルオーバー型が好まれる傾向がますます強くなっていく。

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 Esquire’s ENCYCLOPEDIA
of 20 th CENTURY MEN’S FASHIONS より

UNIVERSAL LAB INC.
Designer TOSHIHIKO MIURA

石津さんは、和製英語で造語の天才です。スウィング・トップはゴルフのスウィングからきていてゴルフジャンパーの型。我ブランド名になっているSOUTIENCOLはフランス語が由来で、SOUTIENとCOLの造語で日本だけで通じるコートの型名。
SOUTIENは支えるといった意味でCOLは衿 コンバーチブルの衿は立たせると顎を支える仕様になる。以前東日本大震災のあと、パリのショップのウインドにSOUTIEN AU JAPONのキャッチを見て、由来を思い出した。

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さて、最近の話題に戻るが、PYJIMASを又作り出した。10数年前、テレビの特別番組にも出た、この時の司会役のツノダ氏にも別注でパジャマを進呈。
ホテルのロビーでパジャマに紺ブレを羽織って撮影し、カタログも出した。
今思えば、独りよがりだったと反省している。発想はいいがコマーシャル・ベースに乗せるのが苦手な自分を自覚。

これに似たことが以前のVANでもあって、ある日石津謙介氏が、SLEEPとPLAYをかけてSLEEPLAYなる造語を考え、VAN ブランドのパジャマを作ったことがある。これも同じような道をたどった。

最近のTV映画で、アメリカ人のクリスマスパーティーシーンで、大邸宅に友人家族をよんで夜11時を回ると、子供を寝かせた後にここの主人がこれから「パジャマパーティ」よと言ってパジャマスタイルに着替えてパーティーが始まった。パジャマは寝るときだけではないライフスタイルが、そろそろ我国でもと感じさせるシーンでした。

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31/Oct/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

POPEYEの創刊号の予告版でNewYork特集があった。
後に、当時副編集長だった石川次郎さんに創刊号の前号だと直接聞いた。

その当時のPOPEYEをなめるように、VANアメリカ出張の折、取材された所を回った。今では考えられないが、あのラルフ・ローレンがまだ直営店がなかった時代、東海岸では品揃えでブルーミングデイルのデパートとsanfrancisco というセレクトショップにしかなかった。このsanfrancisco はラルフと古着とオリジナルの構成で、一番カッコよかった。雑誌Chip-chicが出たのもこの時でシングルス・バーがマンハッタンではやり、映画にもなった時代。
今でも、ダイアン・キートンのスタイリングに当時がしのばれる。

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この当時はやっていたモノとして、地付きベース(白色ではなく、生成り色)のレトロなストライプのシャツ、ウエポンのミリタリーパンツ、革のサンダルなどがあり、一気にSohoやカーナビー・ストリートに古着屋が出来た時代でもある。

当時、デジカメはなくフィルムカメラで一眼レフ、ポジフィルムのタングステン用ASA64を使い、カメラのASAダイアルを400にして撮り、現像所に増感を依頼、マウントしていた。夜のマンハッタン特に、ブルックスやポール・ステュアート、サックス・フィフス・アベニューのショーウィンドの写真を撮り、帰国後に、VAN99ホールにてスライドにして企画メンバーにトレンドセミナーを行っていた。

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当時、夜のマンハッタンは危険で、ひやひやモノだったのを覚えている。
補足すると、昼間は反射したり映り込みもあるので、フラッシュをたかずに自分が写らないように撮影していた。又、金曜日(給料日)に一斉にウインドディスプレイが入れ替わるので、撮影は金曜日の夜が多かった。

当時の、ポジを見ても古さは感じずトラッドはいつの時代もベーシックであり続ける。

14/Oct./2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

ドルビーサウンドの大音量で、宇崎竜童の演歌!が流れた。1976年ごろだった。
なんの映画か忘れたが、上映前のコマーシャル映像の話。
映画館でのVAN「SCENE」 キャンペーンの映像がスクリーンいっぱい大迫力だった。アメリカ西海岸の波うち際を男女ペアで裸馬にまたがり、ギャロップで駆けるシーンのBGMである。宇崎竜童がブギウギバンドから独立して最初の曲でそれも演歌。

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余談だがVAN JACKETは、当時意匠デザインや宣伝広告も世間の評価が高く、ノベルティなどレアものとして、今でも取引されている。この企画は社内でディレクションしたと思うのだが、私は、気に入らなかった。どうにもアメリカと演歌が結びつかない。一言でいえばカッコよくないのである。このとき以降、この曲を聴くことはない。どちらかと言うと最近私は、宇崎ファンである。
そのあとの演歌はよかったのに。

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ある時、当時の石津謙介社長が我々の居る企画室に現れ、この映画館でのコマーシャルフィルムに関する意見を求められた。私と他は販促部の連中がテーブルについて一人一人意見を述べた。作った本人はミスマッチで新しいつもりだったと思うが、イケてない。新しければイイというものではない。
この意見は少数派だったと思う。石津謙介社長も同意見だったと記憶している。

いかに、カッコいいかを追い求めた石津謙介氏からすると、トラッドの精神から、ちょっと外れたような気がする。
30/Sep/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

VANに在籍していた1970年代、石津社長にデザインチェックを受ける為、
毎シーズン、デザインした企画書をもって社長室に赴いた。一通りのデザインストーリーやコンセプトを説明し、各々の評価を聞くといったところ。
石津社長は赤鉛筆が好きで、気にいったら〇、 気に入らなかったら×、を大胆にかく。この時代企画書もアナログな手書きなので、これが厄介で、なかなか消えない。後の各支店企画説明会にもって行くのに苦心したのを覚えている。

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それにしても、石津さんはシャツが好きだったなー。 シャツに一番うるさかった。普段のある日、私の前でプルオーバーシャツを着たり脱いだりして、サイズ感をレクチャーされた。
カフス回りのサイズについては非常にうるさかったのを覚えている。
ボタンを留めたカフスに手をすぼめて、ストレスを感じながら入らないといけないと。確かカフスのボタン位置もカフスの真ん中ではないと聞いた。後にそんな記憶からPOLOと名付けたシャツがSOUTIENCOLの定番として生まれた。
その後、マイナーチェンジを繰り返し今のRE-MAKE POLOに受け継がれている。

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ボタンダウンの衿のロールについては、当時の企画部長でもあったT氏が
アメリカのトラディショナルに精通していて、毎日衿のロールの出具合についてお互いに研究した。嫌になるほど何日もである。
後年、そのT氏から志を受け継ぐのは三浦くんしかいないと言われ 、今では遺
品となった、HARRIS TWEEDの昔の生地見本や昔のファッション雑誌「TheNewYork
TimesMagazine」の別冊で季刊誌の「MEN’S Fashions of The Times」を受け取った。

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今また、NewYorkがマイブームになりそうな予感!
16/Sep/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

1973年、社内行事初めてのIVYツアーが始まった。 行き先は当時テレビで流れていたトロイ・ドナヒューの「避暑地の出来事」の舞台パームスプリング。
アリゾナ州の、砂漠の真ん中に人口的に作られたオアシスで、避寒地である。
緑に覆われていた町中を、一歩道路を挟むとそこは砂煙が舞い、裸山が迫る
ウェスタンの世界、どこからかインディアンが裸馬で襲来してきそうな景色。

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最初の夜が、プール付きのドライブイン、まるで映画の世界のようで夢の中。
それと、ロスのメルローズAv.からサンセットblv.ビバリーヒルズ、ラスベガスの夜、ラストは、憧れのサンフランシスコ路面電車が走っている町。
(あ、まだあった帰りのついでにハワイ!この当時おまけでハワイに立ち寄れた)

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旅行の目的は、ラスベガスでのファションの展示会「MAGIC-SHOW」の視察のはずが、どこからか石津社長が現れ、一声で急遽、ディズニーランドへ行くことになった。 その当時の石津社長の言葉が忘れられない。
「アメリカまで来て服をみるな」だった。総勢40人ほど全員あっけにとられ
たが、それはそれでディズニーランドを満喫した。

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みんな若かったので、興奮もおさまらず、夜な夜なビバリーヒルズで寝ずに遊びまわったのを覚えている。あのビートルズが初めてアメリカデビューした「ウィスキー ア ゴーゴー」など懐かしい。
ラスベガスでは、ヒルトンホテルのディナーショーで「セルメン66」を見て
ギャンブルも楽しんだ。

それでも、職業柄メンズショップ巡りで「フレッドシーガル」やビバリーヒルズで健さんがスウィングトップ着てショップに居たのを覚えている。

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映画「卒業」のUCLAロス分校のCOOPで本物のトレーナーを買った。
フロッシャムではブーツを買ったのを思い出した。

このツアーで、ファッションは洋服だけではないトラディショナルマインドが
見えてきた。

31/Aug./2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

SOUTIENCOLブランドとMMMMMブランドのステンカラーコートのポケットは一部、貫通マガジンポケットの仕様になっている。
単衣のコートは、貫通マガジンポケットのみだが、裏地付きのコートの一部は2ケ所ポケットがあり、通常のポケットとポケット口の玉縁から裏に手が入る大きなマガジンポケットが裏についている。

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通常機能としては、新聞や雑誌などを入れるため、A-4サイズがすっぽり

収まるようにできている。貫通で便利なところは、パンツのポケットにコートを着たまま手が入れられるところ。特にレインコートには多い仕様。

余談なんですが、このポケットが強調された映画のシーンがあった。
Steve McQueenの「ブリット」で殺し屋が、折りたたみ式のショットガンを
マガジンポケットに忍ばせていたのを、思い出した。

 

19/Aug./2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

ナチュラル・ショルダーに拘るから1枚袖ラグランスリーブになった。

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袖山に縫い目がある2枚袖ラグランは、肩パットの入ったジャケットなりを
インナーに着て、様になる。いわゆる肩が協調されるシルエット。私は、これがテーストに合わない。80年代にさわりで肩が協調されたファッションをしてみたが・・・。あのサンローランも50年代はナチュラル・ショルダーだった。これは2006年にパリのMARCEAUにある彼のアトリエでSMOKING FOREVERという10年を1時代としたスーツの展覧会を見て確認できた。まさしくこのナチュラル・ショルダーが50年代以降のトラッドの基本になっている。

私は、「洋服は肩で決まる」といっても過言ではないと思う。我ブランドは、肩の傾斜をナチュラル・ショルダーにすべてのアイテムを併せてある。
余談ですが、この肩傾斜が解っていない洋服もあり、着心地に差が出るのである。

それと、中に入れる芯地を長年研究した。わかったことは衿にエラス芯という
テーラードにも使われる麻芯(昔は、ホルマリン漬けされた麻芯で、強烈な臭いがし、今は劇薬に指定され使われていない。)が使われていたこと、それと私が一番こだわる部分は、裾が持ちかかりがあり、揺れる様に色気を感じる。
裾芯は、接着芯ではなくフラシでボリュームのある芯が絶対です。

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私の持論は、1.コートは後姿で決まる。
2. ステンカラー・コートを着たまま、居酒屋で酒を飲むな。
3. マフラーは、コートの袖に通して預ける。

カッコよくスマートに行きましょう!

華麗なる賭け
5/Aug./2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

VAN入社時は、大阪が本社だった。成金趣味ではない当時の石津社長は
車はFORD TAUNUSを社用車に使っていた。その後、社員に払い下げられ
その車を私が、鈴鹿サーキットへの足として乗り回していた。

FORD TAUNUS

その後の石津社長は、私の知る限りHONDA-N3とロータリーエンジンが出たとき
マツダのCOSMOSを個人的に乗っていた。その当時会社の商業車はワーゲンバス
でダルマシフトのバックがなかなか入らないやつだった。
次に来たのが、マツダのファミリアと日産サニーのマニュアル車だった。
どちらも新型で、軽く、くるくる回った記憶がある。

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ある日、日産自動車の新車発表会とVANがコラボしたショウがあった。
VANのイベントは設えたステージの上で、VAN商品のコーディネイトを競い
最後に、石津社長がグランプリを選ぶという催しだった。今でもその時に
コーディネイトしたモノを覚えている。コードレーンのスーツにピンクの
ボタンダウンシャツ、黒のニットタイ 見事グランプリに輝いた。
あまり、人をほめない石津社長に、初めて褒められた記憶がよみがえる。

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今また、当時と似たようなコーディネイトを楽しんでいる。
シアサッカーのスーツにピンクギンガムのB.D.シャツ。
デザインは1型3ツ釦段返りジャケット、フックベント、パンツはパイプドステムのシルエット、短めでダブルカフス。
(NYCのMr.キーガンC.E.Oを思い出すなー これはH氏しかわからない昔ばなしでした。)

50年ほど前の当時と、変わっているのは、特に下半身の成長かな。

29/July/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦