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Category Archive for ‘Philosophy’

来年2月にインド紀行の上映会を、なんとなく鎌倉でやろうかなと考え
小町通り近くにある知り合いのお洒落なカフェで出来ないかと、相談がてら鎌倉へ。

夜のとばりが降りる頃、ディープな鎌倉夜のツアーが始まった。
一件目は予約必至の酒菜 企久太、2件目は文豪も集う立ち飲み酒場、3件目は1966年創業のバー。時間も忘れ、仲間との楽しい時間が過ぎ何年ぶりかで終電に乗った。

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帰りの電車で、2月12日から始まる19年盛夏及び晩夏初秋展示会時に代官山界隈で
上映会を同時にしようと思った。

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プラスチック汚染問題が深刻です。
ゼロのすることはできなくても、少なくすることはできるはず。
私は、子供時代から、環境に対する憂いはあった方だった。

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ずーと気になっていた、プラスチックを失くせそうだ。
シャツの包装から、余分なモノを極力省き環境に負荷の
高いプラスチック製品を失くす努力をしている。
そういえば、シャツの仕上げで金属の虫ピンを長年無意識に
使っていたがこれを廃止したのは、この私。その結果何の不都合もない。
エコや省エネに対する問題意識をもって行動し、身近な事柄で今回から、衿ホルダーや蝶キーパー、Lピンのプラスチック製部材をなくし、ボール紙の衿台紙とたたみ台紙それに薄紙をなくす。
プラスチックの衿ホルダーの代わりに紙の衿ホルダーに順次変えていきます。

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ビニール袋は、cottonの布バッグに変える予定。(上からシールで品番その他印字して貼る)
19年春物から完全に切り替わる予定。

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子供時代から、環境に対する想いはあった方だった。
ずーっと気になっていた、プラスチックをなくせそうだ。

シャツの包装から、余分なモノを極力省き環境に負荷の
高いプラスチック製品をなくす努力をしている。
そういえば、シャツの仕上げで金属の虫ピンを長年使っていたがこれを廃止したのは、この私。その結果何の不都合もない。
問題意識をもって行動すれば、少しでもエコや省エネにつながればの思いで今回から、衿ホルダーや蝶キーパー、Lピンのプラスチック
をなくし、ボール紙の衿台紙とたたみ台紙それに薄紙をなくす。
プラスチックの衿ホルダーの代わりに紙の衿ホルダーに順次変えていきます。
ビニール袋は、cottonの布バッグに変える予定。(上からシールで品番その他印字して貼る)
19年春物から完全に切り替わる予定。

UNIVERSAL LAB INC. 三浦 俊彦

 

これからは、このように襟部分のみにボール紙を使用した梱包にします。

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これまでは、プラスチックも含め、こんなにたくさんの部材を使っていました。

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インド紀行Part.3
古いアルバムから出てきた。
酷暑なので、ヒヤッとした写真でも。ヒヤッとはヒャッとでも、ヒャー!
細い、若い、ひげ黒い の3連発。これは36,7年前インドでの写真。
連れ合いに、ブログを昨日upされ女子達から多くのコメントが寄せられています。普段、蛍光灯の連れ合いはことスマホに関して素早い。

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独立してデザイン事務所をしているころ、テキスタイル・デザインでN社と契約
その仕事で、マドラスに1週間滞在。だんだんと思い出してきた、シンガポールで
乗り継ぎインドの南、スリランカが見えるところまで行った。
中山商店のマドラス在住の人がいて、その奥様がARISONという生地の産元を経営。
織は外注で、整理、管理、配送だけ行う会社。ARISONさんはブラーミンで自宅は
大理石作りの豪邸だった。
インドの子供との2ショットは、その頃6歳ぐらいとして今42,3歳になってるのか。
感慨も深い、それ以来交流もないので、どうなったか計り知れない。

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彼女のファクトリーでマドラス・チェックをたくさん作った。その頃私がテキスタイルしたパターンがどこかにあるはず。
今、又マドラス・チェックが新鮮に思えてきた。昔の資料を引っ張り出しダークな
アース・カラーで小柄マドラスをスペシャル・オーダーしようと考えている。

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SOUTIENCOL 今後の指標Part.4

資格も資本もあまりなく創業出来るのが、アパレルメーカー。
この仕事に携わって50年、50年といえば半世紀。
我が、恩師でもある石津謙介氏が、日本にお洒落な既製服の基礎を作って約60年、本人は1代だがブランドとしては2代で、今も継続中。それにしても洋服の歴史は浅い。評価としては一流だが、
業界社会を見れば、まだまだと思う。

日本国内だけを相手に、商売してきたことが今のモノ作りに多大な影響を及ぼしている。前にも書いたが、工場にとって難しいモノ、手のこんだモノは、避ける傾向にある。これは、国内だけを相手にしているため、はやりすたりが激しく、やったりやらなかったりで同じモノの継続がない。原料の糸なんかも同じで、輸入毛糸等は、ブームがすぎれば仕入れないので、セーターを安定的に作っているイタリア等は、必然的に最良の毛糸が、ほぼ安定して仕入れられる。日本はその逆である。

ダッフルコートを、長年作ってきた工場が廃業した。
これも、作ったり作らなかったりだった。
今、世界的に定番といわれるモノには歴史がある。
アパレルメーカーというよりファクトリーブランドで、世界基準で考えられている。

定番と呼べるアイテムが、やっと育ってきた。コートで言えばSLIP-ON
シャツで言えばRE-MAKE POLO 器用貧乏に、もうオサラバしようと思う。
そういっても、又インドが気がかりの今、性懲りもなくになりそうな雰囲気。

2018/JULY/20 Designer 三浦 俊彦

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この春夏は特にこのプルオーバーデザインのシャツが好評だった。

レディースでの展開が増えてきたのも影響したように思う。
ブランド発足(1992年)当時、最初にリリースしたのがこのシャツ。
当時RE-MAKEする前で、ただのPOLOという型名だった。
当時、知ってる限りではレインスプーナーしか、プルオーバーのシャツはなかった。
50年代後半、私の恩師でもある石津謙介氏に直接指南されたシャツである。
その後、頻繁に(私は付いていけなかったが)ボタンダウン好きの上司のT氏とボタンダウン談義が延々と続いた。衿のボタンの位置を変えるなど綺麗なロールが出るよう工夫したのを覚えている。

この私も、RE-MAKE POLOが大好きだ、10代の頃プルオーバーシャツばかり着ていた。
年齢ともにお肉が育ってくるので、衿がだいぶ抜けるようになった。これが又、今風なのである。少年風シャツは私の永久不変アイテム。

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言わなくてもモノが語ると元来、控えめを美徳とした私が70才を過ぎ、
思うことがあり自分をもう少し、さらけ出そうと思った。
インド旅行にもう一人、映像作家でもある写真家を連れて行こうと
考え、三浦がインドでどんな仕事をするのか、ドキュメンタリー風に
ムービーを製作する予定。インドの文化にも触れ、3都市を巡り短編と
長編の編集を予定している。