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Category Archive for ‘Philosophy’

インド紀行 予告 part.1

9月5日よりインドのデリー〜コルカタ〜ジャイプルへ
19SS コレクションのモノ作りの旅に出ます。

5月にスケジュールを組み、今回行くことに。2年前からデリーで
モノ作りをしているが、新しいところを開拓したいと今回訪印します。
Khadiに魅せられ、今までMichelやリネンのPyjamaを作っている。
来春は、Michelはもちろんロングワンピースの新型Scarlette,
Vacances,Cosette,JaipurそれとPyjamaのバリエーションなど考えている。

ドリスバンノッテンの工房を訪ねたり、Khadiを手織りしている工房を
訪ねたり、珍しい生地を探したりと、コルカタ(以前は、カルカッタ)訪問が興味深い。

インドへの旅行は35,6年ぶり、当時は南のマドラスまで行き、
ヨーガンレールのブロックプリントの工房を訪ねたり、
ラルフローレンの工房で、マドラスチェックをテキスタイルデザインした。

灼熱、高温多湿だったのを覚えているが、今回は比較的北なので
チョット安心、それに現地在住の日本人女性のアテンドなので興味深々。
この女性は、以前から日本へのインド製品のオペレーションの仕事を
やってこられた女性、ディープなインドを体験出来そう。

余談ですが、デリーのゲストハウス「Bungalow99」とジャイプルの「28Kothi」は
お洒落なところで人気急上昇中。この場所も興味深い。
リビングウエアを標榜する私たちには、最高の場所。

インドからの製品コストは、輸入経費を入れると日本製とそんなに変わらず
チョット安い程度。しかし、嬉しいのは小ロット生産が可能で、縫製技術も
良い。又、凝った仕様もOK。
Khadiという特殊な素材も魅力。生産の拠点として、ビジネスのパートナー
として、欠かせない存在です。何かが起こりそうな予感で、今からワクワクする。

 

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SOUTIENCOLの今後の指標
Part 1
縫製工場が、この何年間で様変わりしてきた。
現場の人員の高齢化、跡取り問題、技術者が少なくなり廃業する縫製工場が、我が社の関係工場でも出てきている。それと小ロット製産で高品質なモノ、こだわった商品を我社は標榜してきたが、出来にくくなってきた。いやもう出来そうにない。現に凝ったアウターを26年も縫製してきた国内の工場から、廃業の知らせ。その他、長年シャツを縫ってきた工場から取引停止を幾度も通告され、その都度、工場の意向に沿うよう企業努力を重ねてきたが、今度はミニマム1型50枚を突き付けられ困窮している。
知る限り、50枚ミニマムはいずれの他工場も同じ状況らしい。

いわずと知れて、弊社ブランドも1型50枚の生産ロットには程遠く、今後根本的にやり方を検証し、工場の意向に沿った発注をして行かざるを得ません。
絞り込んだ作り方や、年間定番化などが急務です。IMG_6353

29/JUN/2018 UNIVERSAL LAB INC.三浦談

弊社「SOUTIENCOL」「gardens of paradise」で定番シャツのリネンはイタリアCacnlini社のLinusというリネン生地です。

他メーカーのリネン生地を使ったことがありますが、やはり自他共に賞賛するCanclini社のLinusというリネン生地が

我々が標榜する商品には欠かせません。

風合いを出す為、仕上げ加工の別注もしています。

そんな長年のリレーションシップで、このたびリネンのウンチクや生産工程の写真などリクエストしました。

2018年3月6日イタリアより届き、以下翻訳文と写真をそのままアップしました。

<Canclini Linus>

リネンは10000年前古代エジプト人によって使われていた世界で最も古い繊維製品です。

 

そして有名な商人であり探検家であるフェニキア人によりヨーロッパに持ち込まれました。

今日ではフランス、ベルギー、オランダの9万ヘクタールの土地で世界の80%の亜麻が耕されています。

そしてフランス産とベルギー産のリネンは世界で最高として有名です。

 

これは根本的な3つの要素に基づいています。

適した土地、気候条件、そして専門的にリネンの品質を意識した生産者です。

今日においても文化、収穫、形質変換の技術は一連の変革、つまりリネンを最新の生地として存続させ続けるということが課題です。

 

ありのままの繊維の混率と構造はリネンに格別の性質を与えます。あらゆる天然の繊維製品の中でリネンは最も耐久性があります。

これは繊維自身を強固にする高いセルロースの構成要素によるものです。天然の繊維は構造上、水分吸収を認識する力とは上手く合いません。

リネンの吸水能力はまた無限の色度範囲を可能にし、様々なフィニッシング加工を可能にします。

それは絶縁性質と温度調節機能を持ち、快適にしています。

低刺激性で、布の毛羽立ちに強く帯電防止です。更に100%天然でリサイクルでき生物分解される環境に優しい繊維です。

 

これら全ての特徴がリネンを優れた繊維にし、技術、品質、スタイルと創造性との融合を可能にするのです。

 

我々Cancliniはこの繊維を信じ、研究と試行錯誤を異なる方法で続けています。

 

伝統的なLinusから、先染めは無地とストライプやチェック等両方で沢山の色合いを発達させました。

後染めのLinus TPにおいては、ゆったりと鮮やかな色合いを醸し出しています。

弊社ではこれを元にプリントでも使用し、とても新鮮でした。

もしくは革新を愛する方には色褪せた型がお勧めです。

 

100%リネンというのは大抵よりコンパクトな生地にする為コットンと合わせられますが、弊社は夏の季節に必須な繊維だと思っています。

その為弊社では様々な見た目、新たな研究と流行りの色で毎年提供しております。そして毎回市場で最も人気商品上位3位以内に入ります。

 

夏にリネンのエレガントで繊細、新鮮で快適かつ軽いシャツを好む方にお勧めです。

 

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raccolta lino Vlasvezels_(1) filatura 1 filatura 2 filatura 3 filatura 4 filatura 5 filatura 6

lino processo 2 lino processo

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LinoCampo

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自社商品なのでたまにデザイナー自身が2~3回着用した。
非常に希少なケンピ(kempy yarn)入り英国ツイード。

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2013年当時数点限定で作ったダッフルコート。
裏にはレジメンタルst.のパイピング。
タブ裏やフラップ裏には別布のW、ホームスパンがあしらってある。
当時上代\69,000を今回に限り65%オフの\26,082(税込み)。

詳細はこちら

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ボタンダウンの拘り

SOUTIENCOLプルオーバーB.D.シャツのすべて

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ヒストリー:

1964年にVAN JACKET INC.のボタンダウンシャツを作り始めた。
福島県のファクトリーで、25年前からSOUTIENCOLのシャツは
同じ工場で作り続けています。Made in Japanにこだわり、
理想の型やクオリティを追い求めています。
定番型ですが、デザイナー自らデザイン、型紙、縫製、をディレクションする
職人気質がブランドの根底にあります。

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特徴:

半袖B.D.シャツはプルオーバー型が本格派!
以前からSOUTIENCOLのB.D.シャツは衿が立って綺麗といわれています。
これは、衿腰の前立て部分のつけ方に特徴があり、譲れないところです。
衿のロールが,上品に出るよう型紙で工夫しています。
もちろん柔らかなロールには、接着の芯地ではなく
綿素材の接着されていないフラシの芯を使っています。
師匠の石津謙介さんに、プルオーバーは脱ぎ着しやすいサイズでと
よく言われていましたので、特に肩幅や身幅は広めにしています。
それと、TRADの特徴はナチュラル・ショルダーです。
SOUTIENCOLのシャツ、ジャケットなどは、肩の下がりを
ナチュラル・ショルダーにしています。これが重要なんです。

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B.D.はボタンホールの位置とボタン位置が命!

1.B.D.は、衿のステッチ幅5から6mmで、
ステッチぎりぎりにボタンホールの穴糸がかかってないといけません。
2.問題はボタンの位置です。
衿先の長さ、開き具合によって微妙に変わります。
これはパタンナーの型紙上ではわからない事なんです。

デザイナーの研鑽と、美意識が問われる重要なポイントです。
UNIVERSAL LAB INC. Designer TOSHIHIKO MIURA 25.Oct..2017

半袖B.D.シャツは絶対プルオーバー型が本格派!
1920年代ポロ競技に、初めて白の半袖プルオーバーが着用された。
1930年代中頃スポーツウエア用としてオックスフォード地が特に好まれた。
1930年後半、ほとんどの人はスポーツシャツの裾をパンツの外に出して着ていたので、着丈が短く作られるようになった。

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1950年代から60年代初期までイタリア、フランス(コンチネンタル)の影響があったが、同時にナチュラル・ショルダーのIVY・LEAGUE支持者たちはオックスフォードのボタン・ダウンを愛用した。この時代、上品なペーズリィ柄とロウケツ染めのバティックの伝統的プリント柄と、マドラスチェックが多かった。
型は、プルオーバー型が好まれる傾向がますます強くなっていく。

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 Esquire’s ENCYCLOPEDIA
of 20 th CENTURY MEN’S FASHIONS より

UNIVERSAL LAB INC.
Designer TOSHIHIKO MIURA

石津さんは、和製英語で造語の天才です。スウィング・トップはゴルフのスウィングからきていてゴルフジャンパーの型。我ブランド名になっているSOUTIENCOLはフランス語が由来で、SOUTIENとCOLの造語で日本だけで通じるコートの型名。
SOUTIENは支えるといった意味でCOLは衿 コンバーチブルの衿は立たせると顎を支える仕様になる。以前東日本大震災のあと、パリのショップのウインドにSOUTIEN AU JAPONのキャッチを見て、由来を思い出した。

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さて、最近の話題に戻るが、PYJIMASを又作り出した。10数年前、テレビの特別番組にも出た、この時の司会役のツノダ氏にも別注でパジャマを進呈。
ホテルのロビーでパジャマに紺ブレを羽織って撮影し、カタログも出した。
今思えば、独りよがりだったと反省している。発想はいいがコマーシャル・ベースに乗せるのが苦手な自分を自覚。

これに似たことが以前のVANでもあって、ある日石津謙介氏が、SLEEPとPLAYをかけてSLEEPLAYなる造語を考え、VAN ブランドのパジャマを作ったことがある。これも同じような道をたどった。

最近のTV映画で、アメリカ人のクリスマスパーティーシーンで、大邸宅に友人家族をよんで夜11時を回ると、子供を寝かせた後にここの主人がこれから「パジャマパーティ」よと言ってパジャマスタイルに着替えてパーティーが始まった。パジャマは寝るときだけではないライフスタイルが、そろそろ我国でもと感じさせるシーンでした。

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31/Oct/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

POPEYEの創刊号の予告版でNewYork特集があった。
後に、当時副編集長だった石川次郎さんに創刊号の前号だと直接聞いた。

その当時のPOPEYEをなめるように、VANアメリカ出張の折、取材された所を回った。今では考えられないが、あのラルフ・ローレンがまだ直営店がなかった時代、東海岸では品揃えでブルーミングデイルのデパートとsanfrancisco というセレクトショップにしかなかった。このsanfrancisco はラルフと古着とオリジナルの構成で、一番カッコよかった。雑誌Chip-chicが出たのもこの時でシングルス・バーがマンハッタンではやり、映画にもなった時代。
今でも、ダイアン・キートンのスタイリングに当時がしのばれる。

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この当時はやっていたモノとして、地付きベース(白色ではなく、生成り色)のレトロなストライプのシャツ、ウエポンのミリタリーパンツ、革のサンダルなどがあり、一気にSohoやカーナビー・ストリートに古着屋が出来た時代でもある。

当時、デジカメはなくフィルムカメラで一眼レフ、ポジフィルムのタングステン用ASA64を使い、カメラのASAダイアルを400にして撮り、現像所に増感を依頼、マウントしていた。夜のマンハッタン特に、ブルックスやポール・ステュアート、サックス・フィフス・アベニューのショーウィンドの写真を撮り、帰国後に、VAN99ホールにてスライドにして企画メンバーにトレンドセミナーを行っていた。

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当時、夜のマンハッタンは危険で、ひやひやモノだったのを覚えている。
補足すると、昼間は反射したり映り込みもあるので、フラッシュをたかずに自分が写らないように撮影していた。又、金曜日(給料日)に一斉にウインドディスプレイが入れ替わるので、撮影は金曜日の夜が多かった。

当時の、ポジを見ても古さは感じずトラッドはいつの時代もベーシックであり続ける。

14/Oct./2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

ドルビーサウンドの大音量で、宇崎竜童の演歌!が流れた。1976年ごろだった。
なんの映画か忘れたが、上映前のコマーシャル映像の話。
映画館でのVAN「SCENE」 キャンペーンの映像がスクリーンいっぱい大迫力だった。アメリカ西海岸の波うち際を男女ペアで裸馬にまたがり、ギャロップで駆けるシーンのBGMである。宇崎竜童がブギウギバンドから独立して最初の曲でそれも演歌。

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余談だがVAN JACKETは、当時意匠デザインや宣伝広告も世間の評価が高く、ノベルティなどレアものとして、今でも取引されている。この企画は社内でディレクションしたと思うのだが、私は、気に入らなかった。どうにもアメリカと演歌が結びつかない。一言でいえばカッコよくないのである。このとき以降、この曲を聴くことはない。どちらかと言うと最近私は、宇崎ファンである。
そのあとの演歌はよかったのに。

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ある時、当時の石津謙介社長が我々の居る企画室に現れ、この映画館でのコマーシャルフィルムに関する意見を求められた。私と他は販促部の連中がテーブルについて一人一人意見を述べた。作った本人はミスマッチで新しいつもりだったと思うが、イケてない。新しければイイというものではない。
この意見は少数派だったと思う。石津謙介社長も同意見だったと記憶している。

いかに、カッコいいかを追い求めた石津謙介氏からすると、トラッドの精神から、ちょっと外れたような気がする。
30/Sep/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

VANに在籍していた1970年代、石津社長にデザインチェックを受ける為、
毎シーズン、デザインした企画書をもって社長室に赴いた。一通りのデザインストーリーやコンセプトを説明し、各々の評価を聞くといったところ。
石津社長は赤鉛筆が好きで、気にいったら〇、 気に入らなかったら×、を大胆にかく。この時代企画書もアナログな手書きなので、これが厄介で、なかなか消えない。後の各支店企画説明会にもって行くのに苦心したのを覚えている。

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それにしても、石津さんはシャツが好きだったなー。 シャツに一番うるさかった。普段のある日、私の前でプルオーバーシャツを着たり脱いだりして、サイズ感をレクチャーされた。
カフス回りのサイズについては非常にうるさかったのを覚えている。
ボタンを留めたカフスに手をすぼめて、ストレスを感じながら入らないといけないと。確かカフスのボタン位置もカフスの真ん中ではないと聞いた。後にそんな記憶からPOLOと名付けたシャツがSOUTIENCOLの定番として生まれた。
その後、マイナーチェンジを繰り返し今のRE-MAKE POLOに受け継がれている。

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ボタンダウンの衿のロールについては、当時の企画部長でもあったT氏が
アメリカのトラディショナルに精通していて、毎日衿のロールの出具合についてお互いに研究した。嫌になるほど何日もである。
後年、そのT氏から志を受け継ぐのは三浦くんしかいないと言われ 、今では遺
品となった、HARRIS TWEEDの昔の生地見本や昔のファッション雑誌「TheNewYork
TimesMagazine」の別冊で季刊誌の「MEN’S Fashions of The Times」を受け取った。

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今また、NewYorkがマイブームになりそうな予感!
16/Sep/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦