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Category Archive for ‘TossyMiura StyleNote’

SOUTIENCOL 今後の指標Part.4

資格も資本もあまりなく創業出来るのが、アパレルメーカー。
この仕事に携わって50年、50年といえば半世紀。
我が、恩師でもある石津謙介氏が、日本にお洒落な既製服の基礎を作って約60年、本人は1代だがブランドとしては2代で、今も継続中。それにしても洋服の歴史は浅い。評価としては一流だが、
業界社会を見れば、まだまだと思う。

日本国内だけを相手に、商売してきたことが今のモノ作りに多大な影響を及ぼしている。前にも書いたが、工場にとって難しいモノ、手のこんだモノは、避ける傾向にある。これは、国内だけを相手にしているため、はやりすたりが激しく、やったりやらなかったりで同じモノの継続がない。原料の糸なんかも同じで、輸入毛糸等は、ブームがすぎれば仕入れないので、セーターを安定的に作っているイタリア等は、必然的に最良の毛糸が、ほぼ安定して仕入れられる。日本はその逆である。

ダッフルコートを、長年作ってきた工場が廃業した。
これも、作ったり作らなかったりだった。
今、世界的に定番といわれるモノには歴史がある。
アパレルメーカーというよりファクトリーブランドで、世界基準で考えられている。

定番と呼べるアイテムが、やっと育ってきた。コートで言えばSLIP-ON
シャツで言えばRE-MAKE POLO 器用貧乏に、もうオサラバしようと思う。
そういっても、又インドが気がかりの今、性懲りもなくになりそうな雰囲気。

2018/JULY/20 Designer 三浦 俊彦

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この春夏は特にこのプルオーバーデザインのシャツが好評だった。

レディースでの展開が増えてきたのも影響したように思う。
ブランド発足(1992年)当時、最初にリリースしたのがこのシャツ。
当時RE-MAKEする前で、ただのPOLOという型名だった。
当時、知ってる限りではレインスプーナーしか、プルオーバーのシャツはなかった。
50年代後半、私の恩師でもある石津謙介氏に直接指南されたシャツである。
その後、頻繁に(私は付いていけなかったが)ボタンダウン好きの上司のT氏とボタンダウン談義が延々と続いた。衿のボタンの位置を変えるなど綺麗なロールが出るよう工夫したのを覚えている。

この私も、RE-MAKE POLOが大好きだ、10代の頃プルオーバーシャツばかり着ていた。
年齢ともにお肉が育ってくるので、衿がだいぶ抜けるようになった。これが又、今風なのである。少年風シャツは私の永久不変アイテム。

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自社商品なのでたまにデザイナー自身が2~3回着用した。
非常に希少なケンピ(kempy yarn)入り英国ツイード。

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2013年当時数点限定で作ったダッフルコート。
裏にはレジメンタルst.のパイピング。
タブ裏やフラップ裏には別布のW、ホームスパンがあしらってある。
当時上代\69,000を今回に限り65%オフの\26,082(税込み)。

詳細はこちら

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ボタンダウンの拘り

SOUTIENCOLプルオーバーB.D.シャツのすべて

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ヒストリー:

1964年にVAN JACKET INC.のボタンダウンシャツを作り始めた。
福島県のファクトリーで、25年前からSOUTIENCOLのシャツは
同じ工場で作り続けています。Made in Japanにこだわり、
理想の型やクオリティを追い求めています。
定番型ですが、デザイナー自らデザイン、型紙、縫製、をディレクションする
職人気質がブランドの根底にあります。

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特徴:

半袖B.D.シャツはプルオーバー型が本格派!
以前からSOUTIENCOLのB.D.シャツは衿が立って綺麗といわれています。
これは、衿腰の前立て部分のつけ方に特徴があり、譲れないところです。
衿のロールが,上品に出るよう型紙で工夫しています。
もちろん柔らかなロールには、接着の芯地ではなく
綿素材の接着されていないフラシの芯を使っています。
師匠の石津謙介さんに、プルオーバーは脱ぎ着しやすいサイズでと
よく言われていましたので、特に肩幅や身幅は広めにしています。
それと、TRADの特徴はナチュラル・ショルダーです。
SOUTIENCOLのシャツ、ジャケットなどは、肩の下がりを
ナチュラル・ショルダーにしています。これが重要なんです。

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B.D.はボタンホールの位置とボタン位置が命!

1.B.D.は、衿のステッチ幅5から6mmで、
ステッチぎりぎりにボタンホールの穴糸がかかってないといけません。
2.問題はボタンの位置です。
衿先の長さ、開き具合によって微妙に変わります。
これはパタンナーの型紙上ではわからない事なんです。

デザイナーの研鑽と、美意識が問われる重要なポイントです。
UNIVERSAL LAB INC. Designer TOSHIHIKO MIURA 25.Oct..2017

半袖B.D.シャツは絶対プルオーバー型が本格派!
1920年代ポロ競技に、初めて白の半袖プルオーバーが着用された。
1930年代中頃スポーツウエア用としてオックスフォード地が特に好まれた。
1930年後半、ほとんどの人はスポーツシャツの裾をパンツの外に出して着ていたので、着丈が短く作られるようになった。

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1950年代から60年代初期までイタリア、フランス(コンチネンタル)の影響があったが、同時にナチュラル・ショルダーのIVY・LEAGUE支持者たちはオックスフォードのボタン・ダウンを愛用した。この時代、上品なペーズリィ柄とロウケツ染めのバティックの伝統的プリント柄と、マドラスチェックが多かった。
型は、プルオーバー型が好まれる傾向がますます強くなっていく。

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 Esquire’s ENCYCLOPEDIA
of 20 th CENTURY MEN’S FASHIONS より

UNIVERSAL LAB INC.
Designer TOSHIHIKO MIURA

石津さんは、和製英語で造語の天才です。スウィング・トップはゴルフのスウィングからきていてゴルフジャンパーの型。我ブランド名になっているSOUTIENCOLはフランス語が由来で、SOUTIENとCOLの造語で日本だけで通じるコートの型名。
SOUTIENは支えるといった意味でCOLは衿 コンバーチブルの衿は立たせると顎を支える仕様になる。以前東日本大震災のあと、パリのショップのウインドにSOUTIEN AU JAPONのキャッチを見て、由来を思い出した。

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さて、最近の話題に戻るが、PYJIMASを又作り出した。10数年前、テレビの特別番組にも出た、この時の司会役のツノダ氏にも別注でパジャマを進呈。
ホテルのロビーでパジャマに紺ブレを羽織って撮影し、カタログも出した。
今思えば、独りよがりだったと反省している。発想はいいがコマーシャル・ベースに乗せるのが苦手な自分を自覚。

これに似たことが以前のVANでもあって、ある日石津謙介氏が、SLEEPとPLAYをかけてSLEEPLAYなる造語を考え、VAN ブランドのパジャマを作ったことがある。これも同じような道をたどった。

最近のTV映画で、アメリカ人のクリスマスパーティーシーンで、大邸宅に友人家族をよんで夜11時を回ると、子供を寝かせた後にここの主人がこれから「パジャマパーティ」よと言ってパジャマスタイルに着替えてパーティーが始まった。パジャマは寝るときだけではないライフスタイルが、そろそろ我国でもと感じさせるシーンでした。

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31/Oct/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

POPEYEの創刊号の予告版でNewYork特集があった。
後に、当時副編集長だった石川次郎さんに創刊号の前号だと直接聞いた。

その当時のPOPEYEをなめるように、VANアメリカ出張の折、取材された所を回った。今では考えられないが、あのラルフ・ローレンがまだ直営店がなかった時代、東海岸では品揃えでブルーミングデイルのデパートとsanfrancisco というセレクトショップにしかなかった。このsanfrancisco はラルフと古着とオリジナルの構成で、一番カッコよかった。雑誌Chip-chicが出たのもこの時でシングルス・バーがマンハッタンではやり、映画にもなった時代。
今でも、ダイアン・キートンのスタイリングに当時がしのばれる。

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この当時はやっていたモノとして、地付きベース(白色ではなく、生成り色)のレトロなストライプのシャツ、ウエポンのミリタリーパンツ、革のサンダルなどがあり、一気にSohoやカーナビー・ストリートに古着屋が出来た時代でもある。

当時、デジカメはなくフィルムカメラで一眼レフ、ポジフィルムのタングステン用ASA64を使い、カメラのASAダイアルを400にして撮り、現像所に増感を依頼、マウントしていた。夜のマンハッタン特に、ブルックスやポール・ステュアート、サックス・フィフス・アベニューのショーウィンドの写真を撮り、帰国後に、VAN99ホールにてスライドにして企画メンバーにトレンドセミナーを行っていた。

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当時、夜のマンハッタンは危険で、ひやひやモノだったのを覚えている。
補足すると、昼間は反射したり映り込みもあるので、フラッシュをたかずに自分が写らないように撮影していた。又、金曜日(給料日)に一斉にウインドディスプレイが入れ替わるので、撮影は金曜日の夜が多かった。

当時の、ポジを見ても古さは感じずトラッドはいつの時代もベーシックであり続ける。

14/Oct./2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

オルメテックス社の、バーバリー生地を使い続けて20年経ちました。
使い込むほどに目の詰まったバーバリーになり、風合いが経年変化で
ますます、素晴らしい生地になります。
環境負荷のあるDupont社の撥水加工から、最近負荷の少ない撥水加工に
変えたらしい。
レインコート生地では、最高と評判も高いOlmetex.
13年前Parisのプルミエール・ビジョンでOlmetexからMIURA ブランドの
テキスタイル・デザインを依頼され、先染めを含めゴム引きの生地を出品した。
親父のルッカから息子のRICCARDOに世代交代し、事務所にも来るようになった。
その彼に依頼してあった工場内のムービーが出来上がったので公開します。

https://youtu.be/GMlkXMJA7ko

ドルビーサウンドの大音量で、宇崎竜童の演歌!が流れた。1976年ごろだった。
なんの映画か忘れたが、上映前のコマーシャル映像の話。
映画館でのVAN「SCENE」 キャンペーンの映像がスクリーンいっぱい大迫力だった。アメリカ西海岸の波うち際を男女ペアで裸馬にまたがり、ギャロップで駆けるシーンのBGMである。宇崎竜童がブギウギバンドから独立して最初の曲でそれも演歌。

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余談だがVAN JACKETは、当時意匠デザインや宣伝広告も世間の評価が高く、ノベルティなどレアものとして、今でも取引されている。この企画は社内でディレクションしたと思うのだが、私は、気に入らなかった。どうにもアメリカと演歌が結びつかない。一言でいえばカッコよくないのである。このとき以降、この曲を聴くことはない。どちらかと言うと最近私は、宇崎ファンである。
そのあとの演歌はよかったのに。

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ある時、当時の石津謙介社長が我々の居る企画室に現れ、この映画館でのコマーシャルフィルムに関する意見を求められた。私と他は販促部の連中がテーブルについて一人一人意見を述べた。作った本人はミスマッチで新しいつもりだったと思うが、イケてない。新しければイイというものではない。
この意見は少数派だったと思う。石津謙介社長も同意見だったと記憶している。

いかに、カッコいいかを追い求めた石津謙介氏からすると、トラッドの精神から、ちょっと外れたような気がする。
30/Sep/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

VANに在籍していた1970年代、石津社長にデザインチェックを受ける為、
毎シーズン、デザインした企画書をもって社長室に赴いた。一通りのデザインストーリーやコンセプトを説明し、各々の評価を聞くといったところ。
石津社長は赤鉛筆が好きで、気にいったら〇、 気に入らなかったら×、を大胆にかく。この時代企画書もアナログな手書きなので、これが厄介で、なかなか消えない。後の各支店企画説明会にもって行くのに苦心したのを覚えている。

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それにしても、石津さんはシャツが好きだったなー。 シャツに一番うるさかった。普段のある日、私の前でプルオーバーシャツを着たり脱いだりして、サイズ感をレクチャーされた。
カフス回りのサイズについては非常にうるさかったのを覚えている。
ボタンを留めたカフスに手をすぼめて、ストレスを感じながら入らないといけないと。確かカフスのボタン位置もカフスの真ん中ではないと聞いた。後にそんな記憶からPOLOと名付けたシャツがSOUTIENCOLの定番として生まれた。
その後、マイナーチェンジを繰り返し今のRE-MAKE POLOに受け継がれている。

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ボタンダウンの衿のロールについては、当時の企画部長でもあったT氏が
アメリカのトラディショナルに精通していて、毎日衿のロールの出具合についてお互いに研究した。嫌になるほど何日もである。
後年、そのT氏から志を受け継ぐのは三浦くんしかいないと言われ 、今では遺
品となった、HARRIS TWEEDの昔の生地見本や昔のファッション雑誌「TheNewYork
TimesMagazine」の別冊で季刊誌の「MEN’S Fashions of The Times」を受け取った。

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今また、NewYorkがマイブームになりそうな予感!
16/Sep/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦