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Category Archive for ‘TossyMiura StyleNote’

オルメテックス社の、バーバリー生地を使い続けて20年経ちました。
使い込むほどに目の詰まったバーバリーになり、風合いが経年変化で
ますます、素晴らしい生地になります。
環境負荷のあるDupont社の撥水加工から、最近負荷の少ない撥水加工に
変えたらしい。
レインコート生地では、最高と評判も高いOlmetex.
13年前Parisのプルミエール・ビジョンでOlmetexからMIURA ブランドの
テキスタイル・デザインを依頼され、先染めを含めゴム引きの生地を出品した。
親父のルッカから息子のRICCARDOに世代交代し、事務所にも来るようになった。
その彼に依頼してあった工場内のムービーが出来上がったので公開します。

https://youtu.be/GMlkXMJA7ko

ドルビーサウンドの大音量で、宇崎竜童の演歌!が流れた。1976年ごろだった。
なんの映画か忘れたが、上映前のコマーシャル映像の話。
映画館でのVAN「SCENE」 キャンペーンの映像がスクリーンいっぱい大迫力だった。アメリカ西海岸の波うち際を男女ペアで裸馬にまたがり、ギャロップで駆けるシーンのBGMである。宇崎竜童がブギウギバンドから独立して最初の曲でそれも演歌。

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余談だがVAN JACKETは、当時意匠デザインや宣伝広告も世間の評価が高く、ノベルティなどレアものとして、今でも取引されている。この企画は社内でディレクションしたと思うのだが、私は、気に入らなかった。どうにもアメリカと演歌が結びつかない。一言でいえばカッコよくないのである。このとき以降、この曲を聴くことはない。どちらかと言うと最近私は、宇崎ファンである。
そのあとの演歌はよかったのに。

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ある時、当時の石津謙介社長が我々の居る企画室に現れ、この映画館でのコマーシャルフィルムに関する意見を求められた。私と他は販促部の連中がテーブルについて一人一人意見を述べた。作った本人はミスマッチで新しいつもりだったと思うが、イケてない。新しければイイというものではない。
この意見は少数派だったと思う。石津謙介社長も同意見だったと記憶している。

いかに、カッコいいかを追い求めた石津謙介氏からすると、トラッドの精神から、ちょっと外れたような気がする。
30/Sep/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

VANに在籍していた1970年代、石津社長にデザインチェックを受ける為、
毎シーズン、デザインした企画書をもって社長室に赴いた。一通りのデザインストーリーやコンセプトを説明し、各々の評価を聞くといったところ。
石津社長は赤鉛筆が好きで、気にいったら〇、 気に入らなかったら×、を大胆にかく。この時代企画書もアナログな手書きなので、これが厄介で、なかなか消えない。後の各支店企画説明会にもって行くのに苦心したのを覚えている。

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それにしても、石津さんはシャツが好きだったなー。 シャツに一番うるさかった。普段のある日、私の前でプルオーバーシャツを着たり脱いだりして、サイズ感をレクチャーされた。
カフス回りのサイズについては非常にうるさかったのを覚えている。
ボタンを留めたカフスに手をすぼめて、ストレスを感じながら入らないといけないと。確かカフスのボタン位置もカフスの真ん中ではないと聞いた。後にそんな記憶からPOLOと名付けたシャツがSOUTIENCOLの定番として生まれた。
その後、マイナーチェンジを繰り返し今のRE-MAKE POLOに受け継がれている。

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ボタンダウンの衿のロールについては、当時の企画部長でもあったT氏が
アメリカのトラディショナルに精通していて、毎日衿のロールの出具合についてお互いに研究した。嫌になるほど何日もである。
後年、そのT氏から志を受け継ぐのは三浦くんしかいないと言われ 、今では遺
品となった、HARRIS TWEEDの昔の生地見本や昔のファッション雑誌「TheNewYork
TimesMagazine」の別冊で季刊誌の「MEN’S Fashions of The Times」を受け取った。

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今また、NewYorkがマイブームになりそうな予感!
16/Sep/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

1973年、社内行事初めてのIVYツアーが始まった。 行き先は当時テレビで流れていたトロイ・ドナヒューの「避暑地の出来事」の舞台パームスプリング。
アリゾナ州の、砂漠の真ん中に人口的に作られたオアシスで、避寒地である。
緑に覆われていた町中を、一歩道路を挟むとそこは砂煙が舞い、裸山が迫る
ウェスタンの世界、どこからかインディアンが裸馬で襲来してきそうな景色。

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最初の夜が、プール付きのドライブイン、まるで映画の世界のようで夢の中。
それと、ロスのメルローズAv.からサンセットblv.ビバリーヒルズ、ラスベガスの夜、ラストは、憧れのサンフランシスコ路面電車が走っている町。
(あ、まだあった帰りのついでにハワイ!この当時おまけでハワイに立ち寄れた)

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旅行の目的は、ラスベガスでのファションの展示会「MAGIC-SHOW」の視察のはずが、どこからか石津社長が現れ、一声で急遽、ディズニーランドへ行くことになった。 その当時の石津社長の言葉が忘れられない。
「アメリカまで来て服をみるな」だった。総勢40人ほど全員あっけにとられ
たが、それはそれでディズニーランドを満喫した。

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みんな若かったので、興奮もおさまらず、夜な夜なビバリーヒルズで寝ずに遊びまわったのを覚えている。あのビートルズが初めてアメリカデビューした「ウィスキー ア ゴーゴー」など懐かしい。
ラスベガスでは、ヒルトンホテルのディナーショーで「セルメン66」を見て
ギャンブルも楽しんだ。

それでも、職業柄メンズショップ巡りで「フレッドシーガル」やビバリーヒルズで健さんがスウィングトップ着てショップに居たのを覚えている。

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映画「卒業」のUCLAロス分校のCOOPで本物のトレーナーを買った。
フロッシャムではブーツを買ったのを思い出した。

このツアーで、ファッションは洋服だけではないトラディショナルマインドが
見えてきた。

31/Aug./2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

SOUTIENCOLブランドとMMMMMブランドのステンカラーコートのポケットは一部、貫通マガジンポケットの仕様になっている。
単衣のコートは、貫通マガジンポケットのみだが、裏地付きのコートの一部は2ケ所ポケットがあり、通常のポケットとポケット口の玉縁から裏に手が入る大きなマガジンポケットが裏についている。

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通常機能としては、新聞や雑誌などを入れるため、A-4サイズがすっぽり

収まるようにできている。貫通で便利なところは、パンツのポケットにコートを着たまま手が入れられるところ。特にレインコートには多い仕様。

余談なんですが、このポケットが強調された映画のシーンがあった。
Steve McQueenの「ブリット」で殺し屋が、折りたたみ式のショットガンを
マガジンポケットに忍ばせていたのを、思い出した。

 

19/Aug./2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

ナチュラル・ショルダーに拘るから1枚袖ラグランスリーブになった。

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袖山に縫い目がある2枚袖ラグランは、肩パットの入ったジャケットなりを
インナーに着て、様になる。いわゆる肩が協調されるシルエット。私は、これがテーストに合わない。80年代にさわりで肩が協調されたファッションをしてみたが・・・。あのサンローランも50年代はナチュラル・ショルダーだった。これは2006年にパリのMARCEAUにある彼のアトリエでSMOKING FOREVERという10年を1時代としたスーツの展覧会を見て確認できた。まさしくこのナチュラル・ショルダーが50年代以降のトラッドの基本になっている。

私は、「洋服は肩で決まる」といっても過言ではないと思う。我ブランドは、肩の傾斜をナチュラル・ショルダーにすべてのアイテムを併せてある。
余談ですが、この肩傾斜が解っていない洋服もあり、着心地に差が出るのである。

それと、中に入れる芯地を長年研究した。わかったことは衿にエラス芯という
テーラードにも使われる麻芯(昔は、ホルマリン漬けされた麻芯で、強烈な臭いがし、今は劇薬に指定され使われていない。)が使われていたこと、それと私が一番こだわる部分は、裾が持ちかかりがあり、揺れる様に色気を感じる。
裾芯は、接着芯ではなくフラシでボリュームのある芯が絶対です。

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私の持論は、1.コートは後姿で決まる。
2. ステンカラー・コートを着たまま、居酒屋で酒を飲むな。
3. マフラーは、コートの袖に通して預ける。

カッコよくスマートに行きましょう!

華麗なる賭け
5/Aug./2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

VAN入社時は、大阪が本社だった。成金趣味ではない当時の石津社長は
車はFORD TAUNUSを社用車に使っていた。その後、社員に払い下げられ
その車を私が、鈴鹿サーキットへの足として乗り回していた。

FORD TAUNUS

その後の石津社長は、私の知る限りHONDA-N3とロータリーエンジンが出たとき
マツダのCOSMOSを個人的に乗っていた。その当時会社の商業車はワーゲンバス
でダルマシフトのバックがなかなか入らないやつだった。
次に来たのが、マツダのファミリアと日産サニーのマニュアル車だった。
どちらも新型で、軽く、くるくる回った記憶がある。

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ある日、日産自動車の新車発表会とVANがコラボしたショウがあった。
VANのイベントは設えたステージの上で、VAN商品のコーディネイトを競い
最後に、石津社長がグランプリを選ぶという催しだった。今でもその時に
コーディネイトしたモノを覚えている。コードレーンのスーツにピンクの
ボタンダウンシャツ、黒のニットタイ 見事グランプリに輝いた。
あまり、人をほめない石津社長に、初めて褒められた記憶がよみがえる。

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今また、当時と似たようなコーディネイトを楽しんでいる。
シアサッカーのスーツにピンクギンガムのB.D.シャツ。
デザインは1型3ツ釦段返りジャケット、フックベント、パンツはパイプドステムのシルエット、短めでダブルカフス。
(NYCのMr.キーガンC.E.Oを思い出すなー これはH氏しかわからない昔ばなしでした。)

50年ほど前の当時と、変わっているのは、特に下半身の成長かな。

29/July/2017 UNIVERSAL LAB INC. デザイナー三浦 俊彦

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トラッドカルチャーについて

それは、私の師匠でもある石津謙介氏がVAN Jacketinc.でアメリカ東部の有名私立8大学IVY LEAGUEの学生スタイルをまねて、既製服で広めたのが始め。
それは、1954年にVANがIVY LOOKとして日本の若者文化を席巻した。

当時、大人たちから批判されましたが、短い丈のコッパン(綿ポプリンのパンツ)にコインローファー、ボタンダウンのシャツ、VANのロゴ入り紙袋、Foxタイプの長傘を持ったスタイルが羨望のまなざしで見られた。

私がトラッドスタイルに憧れたのは、16歳の夏(今から53年前) 水泳部の
同僚がインディアンマドラスチェックのヴェステッドジャケットを着ていた
のを見て、ショックを受けたのを、今でも昨日のように覚えています。後で
わかったことですが、このジャケットはVANの社員でもある先輩からの借り物だった。後にこの先輩が会社の上司になった。
この先輩は非常にユニークで、もろもろ話は、以前のブログに載っている。

伝統的なスタイルというのは、元々はイギリスなんですがイタリアでもフランスでも、お年寄りはみなこの伝統的スタイルが好み。

私は、ファッションがどのように変わろうが靴は一貫して先が丸いトラッド靴。
我、ブランドの名にもなっているステンカラーコートが大好き。
ジャケットは、1型といわれるフックベントの3ボタン段返り。
シャツは、ボタンダウンしかもっていない。

いつの時代でもトラディショナルなスタイルはなくならない。

22/June/2017 UNIVERSAL LAB INC.    デザイナー三浦 俊彦

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日本の服飾史を作った男たちが集結。モノクロームの奥に秘めたダンディズムの真髄 「ダンディズム」をテーマに、日本のジェントルマンを撮りおろしたJapanese Dandy Monochromeに弊社のデザイナー三浦俊彦が登場。

本物の日本のファッショニスタが一堂に揃います。

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カバーを飾るのは横浜の名店「信濃屋」の白井俊夫。1955年から服飾業界の一線に立ち続ける、言わずと知れたレジェンドです。日本のファッションを作ってきた男たちが総勢170名参加し、モノクロームのポートレートと共に紹介されます。

 

JAPANESE DANDY Monochrome

プロデュース&ディレクション 河合正人

写真 大川直人

発売日:2017年5月26日(予定)

判型:A3変型判(左右297㎜×天地410㎜) 並製:192ページ

定価:本体[¥4,100+税]

発行元:万来舎 TEL:03-5212-4455

2B9mmシャープペンシルはプレスマン

鋏は増太郎鋏と決めている。この鋏が切れにくくなったので

研ぎに出そうと、増太郎鋏製作所を訪ねた。

そこは、今は住宅地に変貌した葛飾区金町の元マチ工場街。

20年前、あまりの切れ味に3本も買った。

庄三郎しか知らなかった当時、お洒落感覚と切れ味抜群の

この鋏とは仕事仲間として、切っても切れない仲になった。

2代目職人、岩田仁男氏によると洋ハサミは伝統が付かない

ただの工芸品らしい。伝統工芸の刀や包丁は、いろいろ保護され

技術を伝承する人もいるが、洋ハサミは伝統がないので、伝統工芸とは、認められず、先細りの一途である。

技術を持った職人がいなくなっていく。これは鋏の世界ですが、我々の仕事環境も

あらゆる場面で似たような現象が今、起こっている。

もう遅いかもしれないが、ドイツやイタリアのように職人に

もっと社会的地位が必要なのでは。

本物にもっと光を当て、大事に育てていこうではありませんか。

金儲け主義から技術をはぐくむ社会になることを願っています。

 

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益太郎鋏